就活から1年,思ったことがあったので書く

気づいたらもう6月になっていた

最近は蒸し暑い日が多く,正直自分には生きづらい時期だ.

丁度去年の今頃,自分は就活をしていた.
結構しんどかったことを覚えている.
それから1年弱,今度は新卒1年目として,町中で頑張っている就活生を見かけたり,
出身研究室の後輩を応援したり,母校に弊社の紹介をしたりする立場になった.

今日,行きつけのバーで飲んでいたら,
研究室の後輩から,志望していた企業に内定が決まったという吉報が届いた.

その企業は奇しくも昨年自分が第一志望としていた企業で,残念ながら自分にはご縁のなかった企業だ.
その報告を聞いて,自分のことのように嬉しくおもった.

その後家に帰って父親にそのことを共有してみた.
するとなんかお前にはお前でいいところあるよwみたいな変なフォローを受けた.

確かに,傍目から見ると
自分は落ちて,後輩は受かった.という構図なので,自然とそういうフォローをされたんだと思う.
まあ落ちた当時の自分の落ち込み具合は相当なものだったので,それを知っている人からするとそう見えるのかもしれない.

しかし自分はただ喜びを共有したくて言ったので,その言葉の意味がわからなかった.
なぜ自分が落ちた企業に受かった後輩の内定報告がここまで幸せに思えるのか自分でも不思議に思ったので,そう思える理由を因数分解して自分なりに考えてみた.

「今,自分は”幸福である”という自覚がある」

落ちてからの頑張りで,自分は納得の行く就職先を見つけ,行くことが出来た.
尊敬できる上司,素晴らしい同期に囲まれ刺激的な毎日を送っている.
就職後の部署就活でも,人事の方が自分のことを深く理解してくださって
学生時代から知っていて,頑張りたい・やりたいと心から思った部署で研修をさせていただいている.
こんなに幸せなことはないと思う.

「”落ちるノウハウ”をそのまま後輩に伝え,微力ながら協力した」

自分が何故落ちたのか,自己分析を自分はブログにまとめていた.
それと同時に後輩にはぜひ受かって欲しいと思っていたので,自分なりの対策方法を共有した.
最後は本人の力であることは確かだが,少なからず自分が協力したという自負が
喜びを増幅させているのかもしれない.

「わざわざ後輩が連絡してきてくれた」

自分はおせっかいな性格をしているので,後輩のことが気がかりでちょくちょくこちらから連絡をしていた.
しかし今回は後輩から連絡が来るパターンでびっくりした.
後輩視点では,その企業に落ちてしまった先輩に対して,自分は受かったことを報告しているという構図になる.
俯瞰してみると,なかなか勇気がいる行動のように思う.相手を不機嫌にさせる恐れもある.
後輩は,「アドバイスありがとうございました!」と言ってくれた.ただのおせっかいで終わらずちゃんと実になってよかった.

「落ちた過去があるから今がある」

今の会社にいるのも,その背景があったからだと思う.
落ちてなかったらそもそも受けてないだろうし,受けてたとしても落ちていたと思う.
そう思うと,自分の人生には必要不可欠な出来事だったのかな,とすら思う.

「後悔しないために就活も研究もやりきったという自負がある」

落ちてから,後悔しないためにも,就活に研究に去年の10月まで同時進行でやりきったという自負がある.
本当にしんどかった.メンタルはボロボロだし,将来の不安も抱えながら初めての論文執筆・学会投稿.正気の沙汰ではない.
もうやりたくない
しかし,そこで中途半端なことをしていたら,そもそも今の会社にはいないだろうし,悔いの残る大学4年生だったと思う.
また,ネガティブなスパイラルはどんどん進み,後輩に協力しようという気持ちが湧き出るどころか
同じ道を歩ませてやろうと,もっとひねくれた考えになっていたかもしれない.
恐ろしい.
そんなことをした時の自分の惨めさったらありゃしない.

ここまで列挙して気づいた

全ての要因は,最後に挙げた「就活も研究もやりきった」ことに起因している.
幸福な気持ちの根底は”落ちてから”の過ごし方にあったわけだ.

最近噛み締めているが,
つくづくあの時諦めなくてよかった.
悔しさはバネになり,より大きな目標へと到達するための道具となる.

これは
どっちの企業が良いとかっていう話でも,たらればの話でもない.
そんな比較や思考実験はナンセンスだ.

その人にとっての幸せは,主観であって他者が評価できるものではないし
比べられるものでもない.
自分は今,自分のいる会社・部署で働けることが心から幸せだし,
後輩の幸せな吉報を聞けたことも,わざわざ連絡してきてくれたことも全て幸せに感じる.

最高に幸せだ.
今夜のビールも美味しかった.乾杯.