講義「メディアアート」冬休み課題&オンライン作品ギャラリー

〔年末課題〕以下の課題から いくつでも 選択してフォームと特設URLでお送りください.
(選択しないものは空白でかまいません.大体1課題あたり1出席に該当します.時間や手の込んだ作品は倍換算)
ファイル送信が必要な場合はこちらのURLからどうぞ https://www.dropbox.com/request/Ybh71jCorkYZ0Y6eGvRZ

■年末課題1「メディアアートとは人と人との関係性」とは?
「メディアアートとは人と人との関係性を作り出すアートである」という命題に対して,これまでの講義を振り返り自分の考え,感じたことをまとめて下さい。

■年末課題2「#年賀状はメディアアート」
郵便(住所は授業内でお伝えしました)もしくはTwitter ハッシュタグと@ツイートとして「#年賀状はメディアアート @o_ob 」を付加すること.受信確認したらRTしますが,誰が誰のアカウントだかわかりませんので本文もしくはDMで学籍番号を伝えるのを忘れずに!文字だけだと点数低いです.このフォームには「郵便で出しました」,「Twitter以下のURLです」などで表現してください.

■年末課題3「えのすい×TeamLab」見学レポート
(開催期間は12/25まで)BlogもしくはPDFにて,ファイル送信が必要な場合はこちらのURLから.https://www.dropbox.com/request/Ybh71jCorkYZ0Y6eGvRZ
レポートには証拠として画像・写真を加えること.最低限の画像の証拠としてTeamLabカメラのFacebookURLを使うとよいです.

■年末課題4「落合陽一:魔法の世紀」を読んで
「落合陽一:魔法の世紀」を読んで感想を書く文章だけでかまいません.何章が一番面白かった,興味深かった,為になったか?を明記すること.Amazonの書評に載せた場合は,そのURLも明記.参考 http://aki.shirai.as/2015/11/mahouno-seiki/

■年末課題5「教科書:白井博士の未来のゲームデザイン」を読んで感想を世界に共有する
「教科書:白井博士の未来のゲームデザイン」を読んで感想を世界に共有する興味深い点,テストに出そうなところなど,何章,何ページを明記して同世代の学生に向けて作文する.作文内容をBlogやAmazonの書評に寄稿する,分割してTwitterで放流など,HTTPでアクセスできる場所に掲示するとボーナス評価.Twitterハッシュタグは「 #白井博士本 」.本文内の画像などは写真で撮影して再利用してよい.Amazonの書評に載せた場合は,そのURLも明記.
このフォームは締め切り:1/10(日) 20:00まで
http://j.mp/H27MA13


オンライン作品ギャラリー

あえて順番を入れ替えてみます。

年末課題3「えのすい×TeamLab」見学レポート

1323100 
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1323089
1323015
1323086

 


年末課題4「落合陽一:魔法の世紀」を読んで

落合陽一さんの本  タイトル 1323001 TA
http://www.amazon.co.jp/dp/4905325056/ref=cm_cr_ryp_prd_ttl_sol_0

白井先生の本  タイトル 「おもしろさとは」という哲学にも似たようなを説いている 本  TA
http://www.amazon.co.jp/dp/4862671586/ref=cm_cr_ryp_prd_ttl_sol_0

私が印象に残った章は、P172~179の第6章デジタルネイチャー 「人間中心主義」を超えたメディアです。その中にある『コンピュータが制御するモノとモノ、あるいは場と場の新しい相互関係によって作られ、人間とコンピュータの区別なくそれらが一体として存在すると考える新しい自然観そしてその性質を「デジタルネイチャー」と呼んでいます。(P179 9~12行より参照)』という点がとても面白く感じた。私達は現代の技術から新しい技術を発見していく。古いものが人間の温かみがあるという考えは私も考えたことはあるが、新しいものでもそれは可能であると考えていたので「デジタルネイチャー」という考えは卒業研究においても考えやすいと思いとても面白い章だと思った。

第1章。アラン・ケイの「ユーザインタフェース設計」について、落合氏による解説が面白かった。
魔法の世紀を購入して読む前に魔法とは何だろうかと内容より先に本のタイトルに興味を持ち、読むのが楽しみになりました。読み進めていると魔法とは新しい技術についての事だと分かりましたが初めて聞く単語が私には多く読みながら納得することができなかったのが残念でしたが第2章が読んでいて面白いと思いました。今は色々な企業がロボットを開発していますが”人工知能を持った人型ロボットが開発されてしまったら人はコンピュータ以下になってしまうのではないか人がコンピュータの行動に左右されてしまうのではないか”(p64第2章より)これを読んだときにターミネーターなどロボットと人間が戦うような映像が頭に浮かびました。

一章の冒頭部分、ありとあらゆるやりとりが計算機に吸収される。という文面を見て、プロセスを高速化し、結果を迅速にかつどこでも提供する事が、メディアアートの本質だと感じた。

第1章です。予備知識が追いつかなく、調べつつ読んでいきました。他人であるから違った角度他側面でモノを捉えているのは当たり前だが、今まで自分自身でそこを見られた覚えがないことがあり、また違った物事の見方を勉強できました。面白い、楽しいという娯楽的感覚ではなく、勉強のつもりで読んでい行きましたがとても楽しい作品でした。

魔法の世紀の中で魔法という言葉がいたるところに使われていた。この本の中では現代のコンピュータやテクノロジーを魔法と表現していて、アニメやゲームの世界で使われる魔法でなくても、現代の魔法でファンタジーな世界を実装していくという表現が面白かった。また、第1章の「魔法をひもとくコンピュータヒストリー」は興味かった。コンピュータの歴史を紹介しているだけの教科書と違い、その中でコンピュータとは何なのかという疑問をひも解いていたからだ。

魔法の世紀を読んでみて、とても面白かった。1章から述べられている、魔術化する世界で、コンピューターを意識することなくコンピューターの機能が使えるという考え方は、初めて知り、興味深かった。ユビキタスコンピューティングや、カーム・テクノロジー、メディアコンシャスなど知らなかった言葉も多く出てきたが、わかりやすく説明されており、その言葉の多くが、コンピューターを意識することがないということに関連していた。あとは、5章で述べられている西洋と東洋との文化の違いや、エーテルに関しての話なども面白かった。さらに、モノと人という関係ではなく、モノ、人と、それをとりまく環境という関係を考えるというのも面白いと思った。
魔法の世紀の中で、5章がとても興味深く、自分にはなかった考え方で、知ることができてとてもよかったと思う。全体的に、今まで自分が考えていたコンピューターというものの考え方とはまったく違っていて驚くことばかりであった。

情報メディア学科でユーザーインターフェースやマルチメディアを学んでいる学生としては2章までの内容は新鮮な内容とは思えなかったが、3章以降のメディアアートやデバイスの変遷、エクスペリエンスデザインの話からどんどん引き込まれた。落合氏自身の考えや体験の話が章を追うごとに増えていくにつれ、時間を忘れて読み進めてしまった。2章以前も内容が硬いだけで読み応えがあり、何よりも6章で語られる「デジタルネイチャー」という未来の世界観・自然観を理解するうえでとても重要な内容であった。
参考になったのは、3章の「新しいことをするために」である。既存のプラットフォームに縛られず、新しいテクノロジーの発明をひたすらに連続させるという一文は、これからの時代を生きる人間として、クリエイターとして大切な考え方だと感じた。

自分にとって一番興味深く感じたのは、4章の「新しい表層/深層」です。
この章では技術(Technology)の根源的な意味をきっかけに、デザインとエンジニアの歴史、そしてデザインにおける価値創造について書かれています。

自分はこれからデザインを中心に研究しようと考えている身なので、「デザイン(表層)」とそれによってもたらされる「ものの価値(深層)」の関係について深く理解しておく必要があると感じています。
そんな立場からこの章を読むと、歴史的な振り返りによるデザイン・価値の関係性のパラダイムシフトを理解し、そしてこれからの「魔法の世紀」ではどのようなデザインが必要とされるのかが良く分かりました。
ITビジネスが中心となる「魔法の世紀」において、現実とインターネットという二項対立的な表現でなく、その2つを包括的に見た、「どのような体験をするのか」を中心としたデザイン、つまり「エクスペリエンスデザイン」の創出が必要であり、自分たちに求められると感じました。

Amazonにてレビューも投稿しました。
http://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R5VAHIR7HB5TS/ref=cm_cr_pr_viewpnt?ie=UTF8&ASIN=B0184BHSQU#R5VAHIR7HB5TS
正確性を保持するため、長文ですが直接のURLを表記させて頂きます。


年末課題5「教科書:白井博士の未来のゲームデザイン」を読んで感想を世界に共有する

GAME OVER is OVER
You do it now
Rabin Ezra

教科書Chapter2、P45~P53の遊びの研究について考えていく。
はじめに、「遊び」の形式的特徴として5つあげられる。
1.自由な行為である(命令されてする遊びは、もはや遊びではない)
2.「必要」や「欲望」の直接的満足という過程の外にある。また、遊びはこの欲望の過程を一時停止させる。
3.日常生活から場と持続時間によって区別される。完結性と限定性が「遊び」の特徴を形作り、反復が可能である。
4.1つの固有なルールが存在する。
5.美しくあろうとする傾向がある。秩序や緊張、リズムとハーモニーといった性質がある。
(ヨハン・ホイジンガ、P45ページ参照)
この考えで今でも使われていると感じたのが3の考えです。子供向けおもちゃを例に出すと小さいころのおもちゃは同じことを何回も繰り返す事ができるおもちゃを多く見られる傾向にある。子供は何回も遊ぶことで多くのことを学んでいる。このことを見たとき今でも使われていると感じられた。
そして、遊びは芸術に大きな影響を与え、エンターテインメントシステムにおける第1芸術から第10芸術を生み出しました。以下に第10芸術まで示す。P52~P53参照。
第1芸術  建築
第2芸術  彫刻
第3芸術  絵画
第4芸術  音楽
第5芸術  詩
第6芸術  パフォーミングアート(舞台、ダンス、パントマイム、サーカス)
第7芸術  映画
第8芸術  ラジオ、写真
第9芸術  漫画
第10芸術 ビデオゲーム
と考えられています。

Twitter以下のURLです。

白井博士本を読み、「遊び」についての考えが変わりました。面白いものづくりをどう考えていけば良いのかが分かります。この本には昔の遊び・エンタメの定義から、おもしろいと思わせる仕組み・未来への応用まで事細かに書かれています。
特に、5章p159では実例を混ぜ、実践的な未来のエンターテインメントシステムを考えることが出来ます。
p112からのゲームの終了条件の考え方は興味深く、自分がいかにゲーム制作者によって惑わされていたかということに気付きました。
遊びやメディアアートについてだけでなく、これからの人生においての重要な考え方を学びました。メディアアートの教科書ではなく、人生の教科書としてこれからも使用していきたいと思っています。

全編にわたって、「ふむふむ」と感じることは沢山あった。一方で、先日ゲスト講演に来てくださった秋山さんがおっしゃっていたような、「実感としてはあったが、言語化できていなかったこと」が本書内で言語化されているという衝撃を感じることが出来なかった。経験がまだまだ足りないように感じた。
テストに出そうなところでは、Chapter2、特に1.、2.について覚えておくとよいように思う。また、Chapter4の4.にある動的複合ペルソナについても、授業中で丁寧に説明されていたのでこれもよく読んでおくべきだろうと思う。
教科書からとくにテストに出そうなところはゲームが第10芸術であるというお話(p.53)です。1:建築、2:彫刻、3:絵画、4:音楽、5:詩、6:パフォーマンス、7:映画、8:テレビ,ラジオ,写真、9:漫画、10:ゲーム
それから動的複合ペルソナの話(p.134)も興味深いです。どこにターゲットを当てるか。あてた上でその周辺の人間をどれだけ巻き込めるのか。「やってみたい」だけでなく「やらせたい」も視野に入れる必要があるとは目からウロコでした。

感想 普通の教科書みたいに堅い用語ばかりを並べているのではなく、ゲームの話とかを混ぜているので、とても読みやすく面白かったです。
興味深い点
2章の3節 ショーシャルゲームをやっているので共感できた
3章の2節 ちょうど卒研を考えていたのでなるほどと思うところがあった
4章の4節 これからゲームを作ることがあったら役に立ちそう

テストに出そうなところ
2章 p42~p46あたり:遊びの研究をした人たち、p47:遊びの要素、p52,p53:第1芸術~第11芸術、p72:練習問題2 遊びの定義で成立していない現代のゲームと問題を列挙せよ
5章 p152:研究に必要な「3つのR」:Re-search,Review,Roadmap、p176:時間管理マトリクス

※3章のp90でパズドラが二箇所「パスドラ」となっているのですが…

https://twitter.com/Y092m
テストに出そうな部分を3つ、本そのものについて1つツイートしてます。

テストに出そうな部分メディアアートとは「人と人との関係性を作り出すアート」
教科書p46,47の遊びの要素について p52,53は読んでおくとよい
第4章132ページからの複合ペルソナという考え方は、一般企業の企画にも取り入れることが出来る仕組みだと思う。
テストに出そうなところは第2章42ページからの歴史の部分など。

4章130P以降のユーザーモデルのペルソナの見解は、これからゲーム業界以外のどんな業界に進むにしても重要だと思いました。商品、サービスを提供するのにターゲットをどのような人物に絞るのかは重要だし、そのターゲットは 個人 とは限らない、というのも大変参考になりました。

ペルソナデザインを用いてユーザーの視点からものを生み出すという考え方はとても良いと感じた。

Twitterに載せました。( https://twitter.com/tsubasa_toyo )

自分が興味深いと思った内容は、「2章p48~51:遊びの成立条件」、「3章p95~96:適切なスパイスとソーシャルの力」、「4章p130~132:動的ペルソナとは」です。
「遊びの成立条件」についての内容は自分の中でとても納得できるところがありました。自分はオンラインゲームなどで遊ぶことがあるのですが、自分が好きでやっているはずなのにも関わらずゲームが面倒になったり終わった後に時間を無駄にしたと感じるようになったことがあります。「作業になった」や「クラスに個性がなくなった」など様々な理由がプレイヤーの中で交わされていたけれど、この本を読んで「自分のゲームがつまらなくなった瞬間」は即ち時間をかけることによってゲーム内で有利になろうとしたり(非生産的な活動の崩壊)緊急クエストに参加するために食事の時間をずらしたり(日常との隔離の崩壊)するなどして遊びの成立条件が崩された瞬間だったのだと感じました。
「適切なスパイスとソーシャルの力」、「動的ペルソナとは」からは売り方や設計についての課題が見えてくると思います。他人からおすすめされることで心の垣根がさがるという現象を利用するならば、とにかくユーザーに製品を触ってもらわなければならないと思います。しかし、ゲームなどのレビューを見ていればわかるけれど、レビュー数が増える時期というのは基本的に良くないことがあった時で、現状に満足しているユーザーというのはあまり感想を表に出しません。炎上商法をやるべきなどとは思わないけれど、エンターテイメントシステムが溢れかえるなかユーザーが触ってみようと思えるような広告のうち方や魅力的な要素をどのように入り口に配置するかなどを考えていかなければならなくなってきたと感じました。また、ペルソナが動的であるということを前提にして設計を行うということは、対象の将来を想像しながら設計する必要があるため対象を今よりもっと具体的にしてそれらを取り巻く環境の変化を見据えていかなければならないと感じました。

Amazonレビュー
「面白い」の教科書 の欄
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4862671586/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=recent
エンターテインメントシステムとメディアアートについて書かれた作品です。
ゲームプログラミングとか細かい技術的な内容ではなく、デザインにおける価値創造やユーザーエクスペリエンスなどより根本的な「面白さ」について構造的にわかりやすく論じられていて、面白いです。

これから何かしらの制作に携わるであろう学生にとって、「どうすればいいの?」という漠然とした疑問に丁寧に回答してくれる一冊なので、ゲームデザインなどに興味がなくても一度は読んで「エンターテインメント」について知るのに調度良いと思いました。
実際、学生である自分ですが、デザインについて研究する上でとても参考になりました。

これからの「エクスペリエンスデザイン」が中心となる時代において、必要なものが載っていますのでぜひ読んでみてください。

Amazonのレビューにも投稿しました。
http://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1D9SB1R4IWV1I/ref=cm_cr_pr_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4862671586


年末課題1「人と人との関係性」とは?

メディアアートは芸術や産業技術に面白さを取り入れたコンテンツであり、結果的に人と人との間に関係性を生み出されるものと考える。

第12回目のゲスト講師の仕事を見ると一見関係のない分野であるが、セカンド・ライフ視軸とした思考に基づいてメディアアートを取り入れて人と人の関係性を作り出している。
昔からシラーやカイヨワ、ホモ・ルーデンスは遊びや美について言及している人がいるが、遊びや美の基本的要素は変わらないとしても、遊びや美に対しての価値観は時代とともに異なる。
クリエイターは、常に遊びや美に対しての流動性を感じながら、その中で人と人の関係性を作り出すメディアアートを生み出さなければならないと考えた。


授業・及び本を読んで
自身の主観だけのためのアートであるならば、メディアアートでない。
僕の経験上、他人に意見を伺うことや、人身の感情を言葉に出すことは愚かなことだと現在でも思っています。
また、友人、先生、親族であろうと話すことは無意味に近いと最近感じています。
これは、情報にはほとんどが感情であると思っているためです。
しかし、この授業を受けた結果アートは全く反対であると感じます。
他人を理解した時始めてアートを作りだせる。
そのような僕とは真反対のような素質が必要と感じました。


メディアアートの授業を受けてさまざまな面で使われていることを実感した。私は「いままでにない物が創造できる」ことがメディアアートだと考える。授業内で出たものを例に出すとアイドルの光るスカートや江ノ島水族館のプロジェクションマッピングなどがあげられる。このメディアアートにおける人と人との関係性は楽しみを共有できることだと思う。作る側も見る側も楽しんで作っていることが伝わってお客さんを楽しませている。このことが人と人との関係性になっていると考えた。
これまでの講義を踏まえ、自分の中でのメディアアートとは、地球上の誰もが関わることができるものだと考えている。人間は人間である以上好き嫌いはあるので、個人の意志による参加、不参加は委ねられる。ただ、メディアアート自体の関わりは老若男女・人種問わず持つことができ、はたまた鳥など種族をも問わなくなるかもしれないと感じられた。


より人間らしいコミュニケーションを取るために、人間らしい感情を奮起させるためにアートを通して人と人の感情を繋げること。
コンピューターと聞くと機械的で感情の無い表現のようにも思えるけど、そのコンピューターを使って人同士がより楽しく前向きにコミュニケーションを取るために作られたアートだと思った。


メディアアートをつくりだすにあたって、最初から人との関係性を持つものはほとんどないと思う。つくられたものに対して他人が何かを感じたり関わりを持ったり関係をつくったりしていくものである。作り出された関係性がどんなものであるかというのは、つくられたものによるかもしれない。仕事でつくったのならそれに興味を持った人との関係は主に仕事上のものになるだろう。しかし、そこで出会うということが重要である。その出会いでかけがえのない友人になるかもしれないし一生を共にするパートナーになるかもしれない。もしかしたらの連続である人生の中で、人とのつながりを生み出せるメディアアートは素晴らしいと感じた。
メディアアート自体が人と人との関わりを前提に作られたものであるというのを強く感じた。人を楽しませるためだったり、人の役に立つものだったりとすべてが人と人の関係性を作りだすことにつながる。


人と人との関係性とは、他者と接するキッカケであると思います。
自分の学んでいる、興味のある分野以外の人、モノと関わる機会は少ないものです。そこで、メディアアートが存在することによって、人間の機会や視野が広がり、成長につながります。メディアアートはどのような分野においても活用できると思います。
また、ペルソナデザインを有効活用することにより、多くの人を惹きつけるメディアアートを創り出せると思います。


始めにメディアアートという言葉を聞いた時にぱっとこういうものかな?という考えが浮かばなく,イメージが湧かなかったのだが様々なイベントごとや色々な会社や研究室,大学の発表を講義を通じてみたり聞いたりすることで,ただ発明する,作るだけでなく必ずそれを使う人や評価してくれる人というものがいるのだなということに気がつき,この命題の通りであると,振り返ると明確にわかった.今後も日本だけでなくもちろん世界で広まって,分け隔てなく国境を越えて関係性が生まれるであろうと感じた.
一口にメディアアートといっても様々な形態があるのだなと感じた。その上で、展示型コンテンツの場合、体験できる場所というのが、地域的な格差がまだまだ大きいように思う。今後、展示型のメディアアートについても一般に体験し易いようになれば、社会全体として「面白い」という言葉の意味に深みが出るのではないかと感じている。


講義内で一番メディアアートが人と人との関係性にあると感じたのは漫画ジェネレータの話の時と、不動産屋さんが来たときです。
誰にでも使いやすく、誰も追いていかない。みんな向けであることをデザインすることがメディアアートなんだなと感じました。


色々な能力を持ったひとが集まって何かを作り出す、またはディベートなどの討論で議論しあいながらでも何か答えを見つけ出す過程で、一人ひとり違う意見がある中で話を聞き説得したりときには言い返したりして、意見を共有しいずれ仲間になることだと僕は感じました。


ゲームや芸術のように感じて・見て、一方的に人に娯楽性を与えたりすることがメディアアートであると序盤のうちは考えていましたが、人と人との関係性を作り出すというのは、ある一つの命題に対し、どのように結論付けるのかを議論する際に、その考えは変わりました。
つまりは、これを美しいのかそうでないのかを決める。それのことです。
そも、人と人との関係性を作るのに、それにどのような意味があるのかを伝えられなければ意味がありません。ただの趣味話に終わってしまいます。メディアアートの持つ力は強く、故にやる理由を伝え、何故それが必要なのかを明確にしなければならないといのは、最近の授業で聞きましたが、確かにと私は考えます。
それを感じたのは、先ほど述べた美しいかそうでないかを思い出したときです。
つまり、どのように美しいかを相手にわかってもらうかを考えるということは、メディアアートではないだろうか? ということです。相手との相互理解ではなく、個人で考えているで完結していることではありますが、個人の情熱や思いが無い以上、伝えることに説得力は付加しないせず、メディアアートして一応の完成度はないものだと私は考えます。


「文章」はメディアアートの一つと考える。「ニコニコ動画」のコメント入力、「amazon」のレビュー、AA(アスキーアート)など、相手に共有してもらう・楽しんでもらうという「人と人との関係性」を作り出している。だから、私は「文章」はメディアアートの一つと考える。
外部講師の方の話を聞いたり自分が前期のセミナーでワークショップに出展したことによって人と人をつなぐことについて理解度を高めることができました。作品を制作しているときはキツイ作業でもお客様に「これ面白い」と言って貰えるとやってよかったと思うことがありました。作る人と体験する人をつなぐものがメディアアートだと私は思います。


一般で用いられるアートという言葉には、作り手の考えを作品に反映するというイメージがある。しかしメディアアートは「人と人との関係性を作り出す」アートであるため、作り手の考えだけでなくそれを受ける者の考えを汲み取る必要がある。
「人と人との関係性を作り出す」というのは大きく2つにわけられると思う。
「今まで関係のなかった人と関係を持つ」ことと、「今持っている関係をより良いものにする」ということである。
授業で取り上げられたメディアアートの例を見ると、大切なのは既存の考えを捨てること、視覚的にわかりやすくあること。そして楽しいものであることだと思う。


 

これまでの講義を受けて、「メディアアートとは人と人との関係性を作り出すアートである」という命題について、そうである部分とそうではない部分があるのではないかと感じた。
前回の授業に講師として来てくださった秋山剛さんの話では、これまでひとりで行われていた家探しが、家族の全員が参加できるようになったということなので、人と人との関係性に大きく関わっている。
しかし、例えばひとりでプロジェクションマッピングを見て綺麗だと思ったときに人と人との関係性を作り出せたかと聞かれると疑問が残る。
メディアアートは人間が作り出すものなので、広い意味でとらえれば、人と人との関係性が皆無であるとはいえないと思うが、必ずしも人との関係性を作り出すところまでたどり着くわけではないのではないかと考えている。


「メディアアートとは人と人との関係性を作り出すアートである」は自分も同じ意見です。なぜなら、メディアアートに自分たちが見て、触れることによりそれを友達や家族、世界中の誰かに伝えようという感情によって、いろんな人に自分が体験した思いが伝わります。その伝えることにより、体験したことに興味を持った人などとのコミュニケーションをとったりできる。もしくわ、自分が作るメディアアートによっていろんな人とのコミュニケーションにもつながります。メディアアートは見て、触れて楽しむものだと最初は思いましたが、その楽しむという思いがいつのまにか人と人の間に線という関係性が生まれ、それはどんどん広がっていくと思う。なので、授業を聞いていてもしかしたら意味を間違えているかもしれないが、自分が感じたことはこんな感じになります。
見知った、もしくが見知らぬ人と人をつなげるためのアタッチメントのようなもの
SIGGRAPHやDCEXPO2015で多くの作品が参加して盛り上がっているところ、先生の研究室で作られたものを遊ぶ人たち、様々な場で知り合った人たちとの話、ゲストの方々の話といった現実での出来事からは、メディアコンテンツを通して、人がつながっていることが学べ、また、教科書等を使った話では、具体的に遊びについてやメディア、ペルソナといった言葉を使っての説明によって人々を引き付けるためにはどんな要素が必要なのか、どういうことを考えるべきなのかといったことを学ぶことが出来た。メディアアートは、人に見てもらうためにする工夫で、様々な場所に用いられているのだと思いました。
私はこれまでの講義を通してメディアアートは人と人との関係性を作り出すアートであると同時に、作者が扱える技術を用いて今までには無かった誰もが初めて見るような作品がメディアアートなのだと考える。なぜなら、これまでの講義で見てきた多くの作品は見たことのない表現や技術が使われていて、それを見るたびに興味がわき、このような人をひきつける魅力のある作品がメディアアートなのだと感じたからである。


一人もしくは複数人の人間が一人以上の人間に認識された場合、認識された人と認識した人の間にできるものが人と人との関係だと思う。何もしていない人でもその人が認識されれば何もしていない人わかる。絵画やテレビなども見ることで、作った人などのことをかんじることが出来ると思う(壁画や何かの作品、ネットのサービスなどでも)。
人と人との関係性なので人と人との関係のあり方(どのような関係なのか)ということだと感じた。


これまでの授業の中で私の頭に強く残っているのは「子供の遊びの「はないちもんめ」ほうがよっぽど”ソーシャルゲーム”だ」という言葉です。

私が最近遊んでいるソーシャルゲームの話をします。そのゲームは基本的にはごくありふれたもので、ガチャをまわして手に入れたモンスターで敵を倒し、ゲームを進めていくものです。そして”フレンド”というシステムがあるのですが、そのシステムはフレンドプレイヤーのもっているモンスターを借りてゲームをすることが出来る、というものです。そしてフレンドとしてモンスターを使ってもらったプレイヤーにはポイントが与えられるというシステムです。当然フレンドが多ければ多いほど、フレンドとして使ってももらえばもらうほどそのプレイヤーはポイントがたまりゲームを有意義に進めることが出来ます。

ここで先ほどの「花いちもんめ」の話にもどります。花いちもんめは順々に人を選んで自分の仲間、チームにいれる遊びです。当然ながらチームに引き込む順番としては仲のいい子、気の合う子が優先されていくでしょう。
ここが先ほどのソーシャルゲームに似ている部分があると思います。ソーシャルゲームには仲のいい悪いはありませんが、代わりに持っているモンスターの強さで選ばれる優劣ができます。初心者プレイヤーは当然最初は強いモンスターは持っていないのでフレンドに選んでもらうことはまずありません。しかしゲームを進めていき強いモンスターを手に入れるようになってくると次第にフレンドが増えてきます。
花いちもんめでは現実の人との関係を、ソーシャルゲームでは非現実での強さで次々に選ばれていくのです。そしてどちらのゲームでもプレイヤーは早く選ばれたいと思うのです。

このような点を押さえているからこそ、数々のソーシャルゲームは多くのプレイヤーを獲得したことが分かり、納得しました。


老若男女問わず、等しく触れ合えるアートなのではないかと考えます。新聞やTV、インターネットなど様々な情報媒体を使って知れることが出来る。特にインターネットでの作品や紹介される作品は、様々な年齢層から見られます。そこで感想や意見、質問などが得られたりする。また現地での作品紹介などの告知もされている。見たいと思い、検索すればいつ見れるのかなどを知れる。現地での説明は文字だけの説明とは違い、感情がや想いを感じる違った良さがあると思います。ある種のコミュニケーションアイテム1つとも考えられます。このことからメディアアートは人と人の関係性によって、良くも悪くもなっていくものではないかと考えます。
今までは「メディア」という言葉自体が娯楽やエンターテイメント性のような意味合いを持っているものだと勝手に思い込んでいたがこの講義を受講してから「メディア」といった言葉の意味を考えさせられた。メディアとは物と物の中間に位置する媒体であり、アートは芸術である。講義の初めの方にメディアアートとは人と人との関係性だと言われた時はあまりパッとしなかったが改めてメディア(中間媒体)とアート(芸術)の言葉の意味を考えたら人と人との関係性を作り出すアートであるという称し方は適切だと感じた。
メディアアートとは人と人との関係性を作り出すアートとは、白井先生を見ているとよく感じる。作品や、SNSなどで同じ意見を共有できたり、共通のものを見つけたりすることで、多くの人と関係性を持つことができ、人との関係が生まれる。このことの繰り返しだと私は白井先生を見ていて感じた。
複数のペルソナではなく複合されたペルソナに働きかけることで、その複合ペルソナ内の複数のペルソナ、あるいは複合ペルソナ同士に作用することで「人と人との関係性」を作り出すアートがメディアアートではないかと考えました。
見るだけで終わる従来のアート(芸術作品)とは違い、メディアアートは皆がそのアートに触れることで体験者になることができる。皆が同じ体験者になることで、人と人との繋がりが生まれていくのだと感じた。


この授業を受けるまで、メディアアートといったものを曖昧にしか認識しておらず、「メディアアート」=「メディア」で作る「アート」といった、コンピュータやネットワーク等を利用して絵や音楽等のアート作品を作るものだと思っていた。ただ、授業を受けてみてこれでは客はただ完成された作品を鑑賞するだけであり、特定の人物のみしか満足させられないものだと思った。また、完成された作品を鑑賞するだけなので、作品と客の間に距離ができるとも感じた。
授業を受けて、メディアアートは未完成の作品に客が積極的に参加して作品を完成させることで、客と作品の距離を縮め、また製作者と客との関係性を作っているものと感じた。客が作品の完成の一角を担うことで、その作品を作っていく楽しさを感じることができ、結果人と作品、そして製作者とを繋げると思った。また、普通のアートはすでに完成された作品であるが、メディアアートでは未完成故に参加した人によって作品の形が多様に変化する。そのため、人によってさまざまな「作品」を作ることができ、この違いが出てくるのが客に「他にはどういった作品があるのか」と思わせ、積極的に作品に参加させる。結果他の客とも関係性を作り出すことができると考える。


ひとつひとつのことに全員で協力的に物事を進めていくことはとても気持ちいいことだと感じた


「人と人との関係性」とは「人と人との繋がり」であると私は考えました。
私がこの講義を受けていなければお会いする事のなかったであろう、面白法人カヤック天野さん、NEXTリッテルラボラトリー 秋山さん、富士通SSL小川さんから講義をしてもらい、またその会社についても知る事ができ、私と相手とに繋がりが出来たと思っています。これは白井先生と講師の皆さんの繋がりから派生したものだと思います。そして白井先生と講師の皆さんとの繋がりを作ったのはメディアアートであると考え、私は「人と人との繋がり」であると考えました。


メディアアートとは人と人との関係性を作り出すアートであるということに対して、自分の考えとしては、メディアアートを作成するためにはコミュニケーション能力が必要なのではないかと考えます。なぜかというと、人と人との関係性を作りだすには、やはりコミュニケーション能力が必要だと思うからです。人と話す時などに、うまく話を伝えられないのに、メディアアートで人に何かを伝えることはできないと思います。それに関連して、自分の考えがはっきりとしていないと、メディアアートを作り出すことはできないのではないかと思います。なので、まとめると、メディアアートとは人と人との関連性を作り出すアートということなので、コミュニケーション能力があり、自分の考えや思想などがはっきりとしている人が、作り出せるものなのではないかと私は思いました。

人と人との関係性を作りだすアートであることが分かる例として、一番該当すると考えたものを挙げます。それは就職活動で使うポートフォリオです。ポートフォリオは収録される各作品が独立しているのではなく、時系列に並べることで自身の成長性を表し、大切に思うことを世界観として表すことで人間性を表現できます。したがってポートフォリオ一冊がアートとなっており、作り手である就活生と受け手である採用者の対話を生み出すための、関係性を作りだすアートになっています。
「どんな人でも楽しんで使えるUI」を目指してWebページの設計をしていた秋元さんの話や普段の講義のなどから、メディアアートには人を見ることが不可欠だと感じました。この授業をうけるまでははっきりと意識したことはありませんでしたが、競争相手だったり模倣の対象だったり協力する相手だったりと様々なところに人と人との関係性があり、それらの関係性がメディアアートによって創りだされていたということを自覚することができました。


これまでの講義を振り返り強く感じたことは、題意にもあるようにメディアアートとは「メディアという装置を用いて誰かと誰かを繋ぐもの」だということである。その「繋がり」は、秋山氏の講義における『GRID VRICK』に表わされるような家族同士の空間・時間共有であったり、天野氏の講義では「バズる」という表現による見知らぬ他人同士の話題共有であったりする。

このような「人と人との関係性を紡ぐこと」を目的としたメディアアートは、インターネットや映像の発明から生じた最先端の概念ではなく、ラスコーの壁画から始まり人類には有史以降本質的に根差している概念であり、それを21世紀あるいは未来に生きる我々がどう受け継いでどう表現するのかが自分らの双肩にかかっていることを深く感じた。

そして、そういったメディアアートの歴史や最先端の作品にこの講義で触れていくに連れ、自分の中に大きなワクワク感が広がっていくのが分かった。
先人が初めて石灰石で壁画を描いたように、初めて写真で風景を撮影したように、初めて映画を作り、初めてインタラクティブなエンターテイメントを開発実現したように、インターネットを含む様々なメディアがあふれる世界でこれから自分がどのように人と人との関係性を紡ぐべきなのか、毎回毎回考えさせられた。
また、自分の中でも興味深く感じたのは、これらの自分の考えを友人と話しあったりもしたことである。つまり、講義こそ自分に友人との関係性を紡がせた、と捉えれば身の回りの多くのことも「メディアアート」という概念に包含されることに気づいた。
勿論「人と人との関係性を作り出すこと」を目的としていないものでも、空間設計やデザインで多くの関係性を作り出すことができることにとても感動したのである。

最後に、半期の授業でしたがご講義ありがとうございました。
就職に臨む今だからこそ「情報メディア」の意味や、メディアアートとしてのデザインの本質を学ぶことができ、また多くの外来の方の講義を聞き毎回の講義でたくさんの刺激を受けることができました。
研究室などは異なりますが、就職し卒業するまでのあと1年もよろしくお願いします。


私は「メディアアートとは、人と人との関係性を作り出すアートである」という命題に対して未だ疑問を持つ部分が感じられる。
これまでの講義で紹介された作品をメディアアート作品として捉える場合、メディアアートの定義が曖昧に感じられるからである。
私が講義を通して感じた事としてメディアアートには、「アート(芸術作品)としてのもの」と、「今日までに社会で活用されてきた技術に芸術性を付加させたもの」の二通りが存在するということがある。
前者の場合、講義中に幾度も登場したプロジェクションマッピングを用いた作品がある。特別講師として来て頂いた面白法人カヤックの天野さんの広告プロモーション作品や、江ノ島水族館のプロジェクションマッピングなど、これらは従来の芸術作品同様、アートしてのメディアアート作品である。
後者の場合、先日特別講師として来て頂いたNEXTリッテルラボラトリーの秋山さんが紹介した不動産業界に用いられるメディアアートがある。
講義内で紹介されたGRID VRICK、すごい天秤など、これらの作品は過去に用いられていた技術に芸術性を持たせた作品である。逆を言えば、これらの作品はすでに住宅間取図、不動産物件データベースとして活用されていたものであるという事である。
このようにこの講義を通したメディアアート作品としては、「人と人との関係性を作り出すアート」としては一概に言うことはできないのではないかと私は感じられた。
講義中に紹介された作品はどれも新しい価値を作り出す素晴らしい作品だと私は思うが、従来の芸術作品とメディアアートが異なるアート作品だと捉えた場合、後者である「過去の技術に芸術性を付加させたもの」という印象が私には強く感じられた。


アートという人生の中で必須じゃないお楽しみ(プラス・マイナスどちらの観点からもくるもの)という感情が作り出したものであると私は考えるが最低限の生活に必要ない部分も人間として文化的に生きるには必要なものであると考える。
それを美しいか醜いと感じとるかは人それぞれで同じものを共有することでコミュニティが成立すると思う。すなわちメディアアートとは人が産み出し人がそれに触れる繋がりの源ではないかと私は考えた。


アートを用いて人と人との関係性を作り出す事はいろんな人に対して有用な事だと思いました。言葉などが通じなくても、相手に伝えたいことが理解できれば、そこから更に発展して行くことができると思うからです。

メディアアートの遊戯を楽しみ、様々な人と体感や共感、プレーして、人間関係性を作り出すんだなと思いました。印象に残っているのはVRで、いろんな人と非現実の世界で強力プレーをして、いろんな人たちと交流するのは面白く、メディアアートで人間の関係性を作りだすんだなと思いました。
あるアートに興味を持った人がそのアートをみに展示展に見に行って興味を持った人同士話し合ったり、SNSを利用してそのアートについて見知らぬ人と話したりとそのアートがより魅力的であると人と人との関係性を作り出せるのではないかと思う。

■年末課題2「#年賀状はメディアアート」

■ 紙の年賀状もありがとうございました